アジア学生文化協会日本語コース スピーチコンテスト開催

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公益財団法人 アジア学生文化協会(以下ABKと表記)主催の本年度日本語スピーチコンテストがABK内教室において3月15日(金)午前9時30分から開催されました。

本スピーチコンテストは、ABKで日本語を学びながら日本の大学や専門学校を目指す受験生によって競われるイベントです。日本マレーシア倶楽部は、このスピーチコンテストに対する支援は有意義なものと捉えており、例年上位3人の入賞者を対象に副賞を提供しています。

コンテストは、J2(初級)J1(中級)と習熟度に応じて2つのグループにクラス分けされており、学習の成果をそれぞれのグループ内で競い合うというものです。

入賞者の選考は、教員が審査員となり自分の担当するクラス以外の参加者を採点してそれぞれのクラスの上位3位を決定します。このほか、参加学生が他のクラスの参加者を採点して決める学生賞(J1クラスとJ2クラスそれぞれ1人)を設定しています。また、ABKの要請に応じて、日本マレーシア倶楽部からも町田博淳理事長、臼井誠一副理事長、小原孝博理事・事務局長、清水貴之理事の4名が審査員に加わりました。

今回のコンテスト参加者数は、J2:13名、J1:17名の総勢30名でした。参加者のスピーチのタイトルは、参加者自身が決めて行われますが、「私の宝物」、「人生で大切なこと」、「テクノロジーの発展と未来」「日本での経験」、「ピアノが好きになったきっかけ」など日常生活で感じたこと、自分の夢や体験談、文化の違い、哲学的な話、苦労話など多岐にわたった興味深い内容のスピーチでした。

昨年の10月に来日して僅か6カ月で高いレベルの会話力を身に着けたJ2の学生達、私達日本人以上の表現力や話術を披露したJ1の素晴らしさにいつもながら驚かされ、参加者の“一生懸命さ”にも心が打たれました。

この高レベルなスピーチコンテストを成功裏に導いた教職員の方々、事務局の方々、関係者の方々のご尽力に敬意を表したいと思います。

スピーチコンテストの結果

スピーチコンテスト各クラスの受賞者名、スピーチタイトルは次の通りです。

◆J2クラス

1位:サチンタさん 「まんが」
2位:ラウさん 「私の夢」
3位:グールさん 「テクノロジーの発展と未来」
学生賞:ハーカンさん 「初めての日本」

◆J1クラス

1位:ウェンさん 「柔道のすばらしさ」
2位:ウーさん 「私がやっているお仕事」
3位:ヨンさん 「私と水泳」
学生賞:ヨーさん 「命の答え」

J2クラス1位サチンタさん
J1クラス1位ウェンさん
スピーチコンテストに参加の学生たち
終了後講評を行うABK学館日本語学校校長 佃 吉一氏
入賞者(後列)の皆さん及び佃校長(前列中央)と日本マレーシア倶楽部出席者

以上、表彰式をもって本年度のスピーチコンテストは終了いたしましたが、来年から更なる発展を目指してABKは体制を変える見込みです。当倶楽部では、現在の良好な関係を基に状況変化に応じた協力支援体制を維持できるよう検討して行く所存です。

本年度のスピーチコンテストを一つの節目として、町田博淳理事長のメッセージ「スピーチコンテストを終えて」が寄せられましたのでご一読ください。

ABK スピーチコンテストを終えて

日本マレーシア倶楽部はアジア諸国(ほとんどはマレーシアからの留学生)から日本の大学入学を目指して来日し日本語の習得に励んでいる青年たちを激励するためにアジア学生文化協会が主催している日本語スピーチコンテストに協賛していることは会員の皆様にご報告している通りです。欧米への留学が多い中、日本を選んでくれたことは大変にありがたいお客さんです。

大戦中、中華民国を含むABCD 包囲陣によりエネルギー確保は死活問題となり、東南アジアを戦場として戦った。 現在では軍事力を使うべきでない相手に使ったと言う反省も出てきている。相手の力量を軽視してしまったと言うことだろう。

日本は可惜300万人の命を失わないで済んだのかもしれない。アジア諸国には日本が其の反省の上に立ち二度とあのような戦争をする国でないことはよく理解していただいている。結果としての副産物としてアジア諸国が次々に独立できたことは事実であります。しかしそのことだけを強調して、日本はアジア諸国の都合も顧みずその国土を踏みにじったことを忘れてはいけない。

一部の日本人には、アジア諸国の独立が日本軍進軍のお陰であることをことさらに強調する向きもあります。しかしそれは日本人の方から言うべきではなく、アジア諸国の人たちが日本のお陰独立できたと言ってくれるのであれば(半分はリップサービス)、否定はしないが、日本が其れを目的としていたわけではなく副産物としてそうなったことを忘れてはいけない。そういう態度は「日本人の慎み」でもあるわけです。

小生はかつて東京教育懇話会なる勉強会に参加していました。林健太郎、福田恒存、竹山道夫、灘尾弘吉、其の他50名くらいの有志が作った会でした。日教組に青少年の教育をゆだねていることに大きな危機感を抱き教育再生をどうすればよいかにつき研究し、それを発表する会でした。

この会で前述の東南アジア諸国に対する「日本の慎み」が話題になったことがありました。ある研究者が東南アジア諸国の独立には日本の功績が大きいというような趣旨の発言をしたときに、当時の座長を務めておられた小田村四郎先生(吉田松陰の義弟=小田村伊之助=楫取素彦初代群馬県知事、貴族院議員、群馬に鉄道を延伸し、富岡製糸場の輸出に貢献のひ孫、行政管理庁長官、拓大総長)が、「君、それは違うよ。当時切羽詰まっていた日本は東南アジアの独立のことなど念頭になかった。独立は単なる結果だよ。日本は恩着せがましく言ってはいけない」とその研究者をたしなめられた。

厳しく歴史の事実を見つめるという其の態度にはっと目が覚めたような気分になったのを記憶しています。以来それを頂門の一針としています。アジア諸国は日本のかけがえのない友人であります。日本マレーシア倶楽部は志高い会員の集合体であります。小生は貧者の一灯として参加させてもらっている。

アジアの学生支援は小さな活動ではありますが、この草の根の活動が何十年か後にどういった形で花開くか楽しみでもあります。

日本マレーシア倶楽部
理事長 町田博淳

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